ステンレス、チタン、ニッケル合金──発電所のタービンから航空機、半導体製造装置まで、日本のものづくりの“根”の部分に、この会社が調達した金属が使われている。だが本人たちは、自らを「ものを売る会社」とは呼ばない。イノウエが売っているのは、素材そのものではなく、「サプライチェーンを動かす力」だという。その意味を、4代目社長・井上浩樹に聞いた。
創業のきっかけは、
一人の素材屋への「独立しないか」だった

創業者は私の祖父、井上壮吉です。戦前、金物問屋で銅線ワイヤーを肩に担いで、資材を運ぶ営業をしていました。その仕事ぶりを見ていたのが、のちに日立製作所の副社長になる川田史郎さんという方でした。「井上さん、真っ黒になって一生懸命働いているけれど、あんた一人くらい食べさせられる。独立したらどうだ」と。
その一言に背中を押されて、祖父は1960年、ステンレス鋼を扱う商社としてイノウエを興しました。最初のお客様が、日立製作所さん。つまり当社は、いわば取引先に背中を押されて生まれた会社なんです。以来65年、当社の歩みは一貫して日立さんとの取引と共にありました。いまも販売の半分は、日立グループ向けです。
能力です。品質を管理する力、納期を守り抜く力、国内外の金属材料と加工をつなぐ力。これは全部、日立さんの現場の要求水準に鍛えられて身についたものです。ただ、その能力を動かしてきたのは、いつだって「人」でした。
昔、当社の役員が新人を連れて日立さんへ初めて挨拶に伺った日、その帰り道にこう聞いたそうです。「今日、自分の靴は見えたかい」と。名刺交換でお辞儀をしたとき、自分の靴が見えるくらい深く頭を下げ、礼を尽くしたか、という意味です。
私たちが「人間力」と呼んでいるのは、こういうことです。細部をおろそかにせず、現場へ足を運び、問題を隠さず、最後まで解決策を探す力。「靴は見えたか」は、その象徴にすぎません。そして当社の行動基準である「律儀・正直・親切」とは、この人間力を言葉にしたものなんです。
東京一拠点の会社が、
なぜ全国に営業所を増やしたのか

当社は、一度にガラッと生まれ変わった会社ではないんです。ステンレス鋼に始まって、プレス加工品、原子力発電所向けの材料、海外からの輸入、高合金の加工品へと、お客様の求めに応じて、緩やかに、でも大胆に、形を変え続けてきました。
いちばん分かりやすい変化は、営業拠点を増やしたことかもしれません。半世紀以上、東京一拠点でやってきた会社が、下松を皮切りに、日立、神戸、広島へと拠点を広げていった。理由は単純で、お客様の近くに行って、話を聞きやすくするためです。
そうなんです。一見、非合理に見える。でも、近くに人がいるからこそ、お客様の要望を深く、早く汲み取れる。そうやって現場で拾った声が、「材料を売る」から「調達・加工・納期まで、一連を引き受ける」という発想へ、当社の仕事の幅を広げていきました。今回ご説明する大きな構想も、元をたどれば、この“現場で聞く”という人間力から生まれているんです。
いまは国内外300社のパートナー企業を束ねて、調達・加工・品質・納期を一体でマネジメントする会社になりました。私たちが自分を「エンジニアリング商社」と呼ぶのは、この一体マネジメントの機能を指しています。利益率の低い、億単位の口銭ビジネスを返上してでも、機能で選ばれる会社になることを選びました。
売上は、約3倍になった
8年で 約3倍。 営業利益率13%、有利子負債ゼロ、自己資本比率57.8%を維持。
事業の約8割を、エネルギー・半導体・航空/防衛/宇宙という国の重要戦略分野が占める。
出所:株式会社イノウエ/2025年3月期実績(売上高、単位:億円)
ボトルネックは、需要ではない。
供給網の「構造」だ

需要は、構造的に伸びています。半導体は年6〜7%、航空・防衛は7.1%、原子力やガスタービンを含むエネルギーは7.3%。生成AI、データセンター、半導体製造装置、防衛力整備、電力基盤の再構築──どれも一過性のブームじゃない。10年単位の話です。
需要は、構造的に伸びている
出所:株式会社イノウエ(主要分野の中長期需要見通し、年平均成長率)
ところが、需要が急激に伸びているのに、供給網がそれに耐えられていない。民間航空機なんて、バックオーダーに対して供給能力が半分以下です。素材は長納期化して、加工を担う中小のパートナー企業は、在庫を持つだけのキャッシュフローの体力がない。だから受注機会を逃して、その注文が海外メーカーへ流れていく。問題は需要でも技術でもなく、サプライチェーンの“構造”なんです。在庫を誰が持ち、リスクを誰が負い、情報を誰が見えるようにするか。
需要は伸びる。だが供給能力は、半分以下。
民間航空機ではバックオーダーに対し供給能力が半分以下。素材は長納期化し、加工を担う 中小パートナーは在庫を持つキャッシュフローの体力がない。逃した受注は海外へ流れる。 問題は需要でも技術でもなく、サプライチェーンの“構造”にある。
出所:株式会社イノウエ(民間航空機分野の供給ギャップに関する社内見解、概念図)
そうです。正直に言うと、当社自身も年間1,000を超える素材や部品を、わずか30名が、それぞれの記憶と経験を頼りに管理してきました。本来なら現場に通って、お客様の信頼を築くことに注ぐべき人間力が、在庫の所在を追ったり、納期を確かめたりするだけで、日々すり減っていく。当社最大の資産であるはずの人間力が、構造のせいで浪費されていたんです。

「持たざる経営」の会社が、
創業以来最大の投資に踏み切る
約11.6億円 ─ 過去の投資水準の、約30倍
0.4%以下だった
水準との比較
57.8%
吸収できる設計
出所:株式会社イノウエ/2025年3月期実績および投資計画値
サプライチェーンの“構造”を変えるには、誰かがリスクを引き受けないといけない。財務体力のある当社が、それをやろうと決めました。内容は、4つの動詞で説明できます。
設計し、保有し、可視化し、輸出する
輸出比率を、1.5% から 15% へ
出所:株式会社イノウエ(輸出比率の現状と2030年度計画値)
そこは、絶対に取り違えてはいけないところです。属人化を排すというのは、人を機械に置き換えることじゃない。在庫の所在や加工の進捗みたいな、本来は仕組みが担うべき仕事を仕組みに任せて、社員を、人にしかできない仕事に集中させるためなんです。お客様の現場に入って、信頼を築いて、機転を利かせる。その人間力にこそ、社員を向かわせたい。
仕組み化は、人間力を弱めるためじゃない。最大化するためにやるんです。倉庫もシステムも、突き詰めれば、人間力を発揮させるための“器”にすぎません。
「供給する会社」から、
「共に供給網を支える会社」へ

在庫を持っていて、即納できて、加工の状況まで見える供給者が国内にいる。これは納期にもBCPにも、価格変動への対応力にも効きます。しかも、その仕組みの価値は、当社の人間力と一体で提供される。システムが在庫と進捗を映し出す一方で、現場には、これまで通り当社の人間が足を運び続ける。
システムだけの供給者でも、人だけの供給者でもない。その両方を備えていることが、大きな投資をしてもなお供給責任を果たし続けられる、私たちの信頼の正体だと思っています。65年間、私たちは「供給する会社」でした。これからは、お客様と“共に”、日本の重要産業の供給網を支える会社になりたい。その関係の再定義こそが、いちばん伝えたいことなんです。
「供給する関係」から「共に拓く関係」へ

倉庫が建ち、システムが動き、体制が変わっても、
変わらないものが一つある。
創業以来の行動基準であり、当社がただ一つの資産と呼んできた、人間力だ。
靴が見えるほど深く頭を下げた、あの日から。
この基準は、変わっていない。
株式会社イノウエ
- 代表者
- 代表取締役社長 井上 浩樹
- 創立
- 1960年4月
- 本社所在地
- 〒101-0044
東京都千代田区鍛冶町1-5-7 江原ビル8F - 資本金
- 1,000万円
- 事業内容
- 金属材料の調達・販売、協力企業と連携した加工・エンジニアリング、輸入
出典:株式会社イノウエ 公式サイト(2026年11月3日確認)
